この三時間おきの授乳に終止符を!
お久しぶりです、ねこだんごです(・△・)ノ
今回は自宅に戻ってから今日までの
悠人の夜泣きについて書いていきます。
「赤ちゃんの授乳は三時間おき」
育児書や育児経験者が口を揃えるこの言葉。
いやあ、本当に三時間おきなんですね!(´△`)
体内にタイマーをセットしてるんじゃないかってくらい
三時間経つか経たないかくらいで泣くんですよね・・・
だから最初の頃は、悠人が泣いたら
「あ、もう三時間経ったんだ」
と、こんな感じで時計代わりにしてました。
けれど、一ヶ月になる数日前に悠人は熱を出し入院、
付き添いとして病院に寝泊りしていた私にも異変がおきました。
入院するような事態になってしまった自責の念と病院での寝泊り、
直接的原因とは言えませんがこれらが重なったことで
母乳がほとんど出なくなってしまったのです。
その時の話は、また別の機会に書かせて頂こうと思います。
退院して家に帰ってから、悠人は少し変わりました。
まず、日中にあまり寝なくなりました。
朝起きて日中を過ごす部屋へ移動するととてもご機嫌で、
午前中はずっとあうーえうーとお喋りをするようになったのです。
夕方にお父さんが帰ってくるとまたご機嫌で
あうー、おー、うー。と、お父さんとお喋り。
お風呂から上がってミルクを飲んで、うとうとし始めた悠人を
寝室に連れて行って、その後でした。
三時間で起きないんです!Σ(○◇○)
これは一例ですが、
22時に寝る→2時半に泣き声で起きてミルクをあげる
3時にまた寝る→起きたら朝8時
こんな感じで三時間以上寝てるんです!(○△○)
途中で起きているのかもしれないじゃんと思われるでしょうが、
起きてないんです・・・!(一度徹夜して見ていたこと有り)
そして夜中にまとめて寝る時間が長くなって、
三ヶ月の今では8時間から9時間寝るんですよ(○△○)マジで
周りからは「親孝行な子だねぇ」と褒められますが
夜中にミルク飲まないから、朝起きた時に
めちゃくちゃお腹空いてるんじゃ・・・それって大丈夫なの?
と心配しております・・・(´◇`;)
元々私が長く寝ないと駄目なロングスリーパーで
空いた時間にちょっとだけ寝るっていうのが出来ないタイプなので
睡眠のタイプも親に似るんだな、と感心もしております。
ということで、実は早い時期に終わってしまった悠人の夜泣きの話でした。
今回はここまで。ありがとうございました^^ノ
母子同室から退院まで②
今回もねこだんごでございます(・△・)ノ
出産編最終話となる、退院して帰宅するまでを
書いていこうと思います。
出産から四日経って母子同室となり、それから三日間を
悠人と一緒に過ごしました。寝顔の可愛さに悶えたり
授乳の前に体重を量って増えている事に喜んだり、
夜中に悠人が泣いたら起きて抱っこしてミルクを飲ませて・・・
全て初めてのことなので慣れるまで大変でしたが
悠人の顔を見たら
「この子のために頑張ろう」
という気持ちが自然と湧いてくるんです。
この子は今、私がいないと生きていけないんだ。
一生懸命育てることが、私が悠人に出来る一番のことで
悠人の命に対する責任なんだ。そんな思いでした。
そして退院の日。夫と選んだ服に着替えさせて、
片付けも会計も終わらせていざ自宅へ!
チャイルドシートに乗せたら、興味津々な顔でキョロキョロ。
まだよく見えていなくても周囲の変化が分かるのか、
窓の外をじーっと見つめていました。
少し話は逸れますが、悠人はチャイルドシートに乗ると
高確率で寝ます!(・□・)
外出前にどれだけぐずっていても、車に乗って揺られていると
いつのまにかスヤスヤと・・・何故なのでしょう?
思い当たる節のある方、コメントで教えてください(´△`)笑
自宅へ到着して、夫が準備してくれていたマットに乗せると
やっぱり興味津々な顔でキョロキョロ。
環境が変わった事でぐずったりするかな?と思っていましたが
私がリラックス出来ているのが伝わるらしく
悠人も気持ちよさそうに寝ていました(´○`)zzz
そして悠人が寝た隙に、私は荷物や部屋の片付け開始。
片付けが一段落してようやく、やっと帰ってこれたんだなあと
ほっと息をつくことが出来たのでした。
これにて出産編は終了となります。今後は夫・スノーマンと二人で
当初の予定通り我が家が使っている育児用品の話や
悠人がどういう風に育っているかを書いていこうと思いますので
これからも読んで頂けると嬉しいです!(`○´)g
では今回はこの辺で。
ありがとうございました^^ノ
母子同室から退院まで①
どうも、ねこだんごです(・□・)ノ
今回は悠人が産まれて母子同室になってから退院までで
特に辛かったこと3つを厳選してお届けします。
帝王切開での出産となったので、悠人が部屋にやってきたのは
私がだいぶ回復した出産から四日後でした。
それまでも看護師さんが経過を見つつ部屋に連れて来てくれて
授乳やオムツ換えをしてはいましたが、
実際に一緒に生活してみると想像以上に大変でした!
①三時間の授乳間隔
誰もが通る道なのだとは思いますがこれが一番辛かったですね。
元々纏めて長く寝るタイプの人間だったので、
三時間おきに起きなきゃいけないのがとても辛くて・・・(;□;)
だけど、そんな私でも悠人が泣いてる声を聞くと
「あ、泣いてる!ミルクの時間だ!」って起きれるんです。
母親になるって不思議だなぁと思いました。
②抱っこ
姉のところに3人、妹のところに1人子供がいるのですが
生後五ヶ月くらいまではどの子も抱っこしませんでした。
だって、首が据わってないんですよ!(○△○)
ふにゃふにゃしてて今にも折れそうでガクガク揺れて・・・
だけど自分の子を恐ろしいから抱っこしないなんて出来ないし・・・
そんな恐怖と戦いながら抱っこしてあやしてました(笑
③言葉が通じない孤独
うちは夫が二交代勤務なので、病院に来れない日が多かったです。
悠人は最高に可愛いし寝顔を眺めてるだけで幸せなんだけど
同室の人たちは毎日誰かしらお見舞いに来てて楽しそうに話してて、
それを聞きながら寝ている悠人に声をかけたり頬を撫でたり・・・
だけど、言葉が返ってくることはありません。
悠人が笑ってくれたこと、ミルクの量が増えた事、
初めて大泣きしたこと・・・その都度連絡はしていても、
仕事中だったり夜勤明けで疲れて寝ていたりと
すぐに返信が来ることのほうが少なかったので、
会話できる相手がいてくれるって幸せなんだなと改めて感じました。
実はもう1つ辛かったこと。それはなかなか退院できないこと!
出産経験のある方は、分かってくださるのではないでしょうか・・・(笑
これから出産を迎える皆さん、頑張ってください(´□`)g
長くなったので今回はこの辺で。
次回は退院して家に帰ってからを書いていきます。
ありがとうございました^^ノ
産みの苦しみとは正にこの事②
どうも、悠人の母ねこだんごです(^△^)ノ
今回は促進剤を使った四日間の三日目と四日目、
そして悠人が産まれるまでを書いていきます。
汚い表現が出るし長くなっておりますのでご注意ください。
錠剤タイプはそんなに辛くなかったのに、三日目から点滴になった瞬間
陣痛は弱いけど吐き気が強く、点滴をつけている間ずっと吐き続けていました。
効果が出ているからと点滴が落ちる速度が速くなり、飲まず食わずなので胃液しか出なくなり、胃液で喉が傷ついて胃液と一緒に血を吐く・・・これを6時間くらい続けました。
途中から来てくれた看護師さんが、
「陣痛が強くなってる訳じゃないし間隔もまだ長い、
辛そうだから一日休憩させてもらって明後日からまた頑張ってみませんか」
そう言ってくれたので担当の看護師さんに伝えると、少しでも効果が出てるなら続けましょうと言われ、翌日も点滴が確定。夕飯も少し食べて吐いてで結局何も食べられず四日目へ。
四日目も、三日目とほとんど同じで胃液と血を吐き続け、暖房の効いた部屋で毛布にくるまりながら寒い寒いと言いながら意識朦朧。そんな私の姿に危機感を抱いたらしい夫(このブログ作者のスノーマン)が担当の先生に帝王切開にしてくれとお願いし、私もそれに同意して緊急帝王切開となりました。
手術室に到着してもまだ寒い寒いと言っている私の腕を、看護師さんが一生懸命さすって暖めてくれて、麻酔科の先生が麻酔が効くまで色々と話しかけてくれて。
そして急にお腹を押されて痛い痛いと言っていたら、泣き声が聞こえました。
悠人が、無事に出て来てくれたのです。
促進剤で一度脈が弱くなったりしたけど、お腹から出てくるために
私と一緒に四日間頑張ってくれた息子にようやく会えた瞬間でした。
私が傷の縫合をされている間に、悠人は保育器に入って一足先に手術室を出て
外で待っている夫と義母、私の母と妹とご対面。後から写真を見せてもらいましたが保育器いっぱいで狭そうでした(笑
悠人が産まれるまでで一番辛かったのはやはりこの四日間、特に三日目と四日目でした。一度帝王切開で子供を産むと次も帝王切開だと言われて、もう促進剤使わなくていいんだ!神様ありがとう!と言いたいくらいには辛かったです・・・(○△○)
出産までの話はここまでとなります。次回からは悠人との対面や
退院して家に帰ってからの奮闘を書いていきます。
ありがとうございました^^ノ
産みの苦しみとは正にこの事①
どうも、悠人の母ねこだんごです(・○・)ノ
前回書いた通り、悠人が産まれるまでの
促進剤を使った四日間のことを書いていきたいと思いましたが
長くなるので今回は二日目までのことを書きます。
入院したその日と次の日は、錠剤タイプの促進剤でした。
陣痛を起こしやすくする薬を飲んで陣痛の間隔と痛みの強弱を計測し、
いきむやり方を教えてもらったりしたのですが、これがなかなか難しい。
痛みがくると体が強張って力が入ってしまうので、
体に力が入らないように力を入れつつ腹式呼吸で下に痛みを逃がす。
上手く説明できませんが、こんな感じで頑張ってました。
そして驚いたのが、最近お腹痛むんだよなと思っていたのが
まさかの微弱陣痛だったことです。
初日に薬を飲む前に「これ、陣痛来てたみたいですねー」と言われて
これが陣痛なんですか!?(○△○)ってなりました(笑
陣痛って、すごく痛いのが突然くるものだと思っていたんですよね。
姉や母に訊いても人それぞれとしか言われなかったので戦々恐々としながら身構えていたのに、まさかあの普段と同じような痛みが陣痛だったなんてと。
この時は陣痛の間隔が長かったし痛みもそこまでなかったので
暇だなぁくらいにしか考えていませんでした。
二日目の夜に少し処置をしてもらって、三日目に突入。
この日から次段階である点滴に移行したのですが、これが地獄でした。
次回は地獄の三日目と、四日目に悠人が産まれるまでを
書いていきます。今回はこんなところで。
ありがとうございました^^ノ
妻の入院、その理由
初めまして、ブログ内でちょこちょこ登場している
作者スノーマンの妻にして悠人の母、ねこだんごと申します(・△・)ノ
今回は入院したときの話ということで私視点で書いていきたいと思います。
最初の投稿でも書いたのですが、私は陣痛促進剤を使っても
微弱な陣痛しかこなくて緊急帝王切開で悠人を産みました。
そもそも陣痛促進剤を使うことになった理由は2つです。
1つは、悠人が大きかったこと。
お腹の中でだいぶ大きくなっていた悠人は、38週の検診時で
推定体重が3500gになっていたのです。だいぶ大きい・・・
そしてもう1つは、私が妊婦糖尿病になっていたこと。
妊婦糖尿病は、その名の通り妊婦さんがかかる病気ですが
近親者に糖尿病の方がいて遺伝的になってしまう人、
妊娠してホルモンバランスなどが変わってしまって糖尿病になってしまう人
がいるらしいですが、私は後者でした。
詳しくはネットや担当の産婦人科医の先生に尋ねてみてください。
自分で血糖値を計ったり塩分は一日6グラムまでと指導されたり大変でしたが、
出産を期に元通りになったので一安心でした(´△`)
予定日の三日前に入院して促進剤を使うことになったのには
こんな理由があったからなのでした。
そして入院した私を待っていたのは、想像以上に辛い四日間だったのです。
次回はその四日間について、引き続きねこだんごが書いていきます。
ありがとうございました^^ノ
〜出産前の準備から今まで⑤〜
今回は悠人の服やガーゼのお話です。
と言っても、出産前に購入したのは肌着と退院時に着せたい服くらいで、他は大体いとこたちのおさがりを着せています。
妻は四人姉妹の次女で、義姉と義妹①に子供がいるため、その子たちが着ていた服を何枚か譲ってもらいました。兄弟がいるというのはこういう時に有り難いですね!
そして肌着は短肌着、長肌着、ロンパースタイプがセットになっているものを購入しました。生後二ヶ月くらいはすぐに大きくなって着られなくなってくるのであまり数多く準備しても・・・とは思いますが、これは悠人が二月生まれだからというのもあるので、六月~八月が出産予定の方は多めに準備しておくと良いかもしれません。赤ちゃんは体温が高い&思ったより汗をかきます!
ガーゼに関してですが、我が家は20枚入りを用意しておきました・・・が!足りませんでした!赤ちゃんは、とかく吐き戻しが多いからです。溢乳と呼ばれるもので赤ちゃんの間は仕方がない事なのですが、口の端からダラーっと零れてくるので慌てて拭く、新しいガーゼを準備する・・・その繰り返しになるので、思ったより必要です。我が家が用意したのは無蛍光・無着色のものでしたが、子供用であれば恐らく大抵のガーゼがそうだと思います。ですので、枚数が多く入っているものがお勧めですね!
服とガーゼに関してはこんな感じでした。
次回からは悠人が生まれてからの事を書いていきたいと思います。
ありがとうございました^^